法光寺

 

あなたの「心の居場所」として・・・広島県尾道市・浄土真宗本願寺派・法光寺(法光寺心理相談室)

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法光寺住職・季平博昭が語る、なんだか気持ち良くなるお役立ちコラム。日々の生活にうまくとり入れれば、新しい道が開けるかも。

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今何処にいて、何をして、何を感じているのか。季平博昭の「今」が見えてくるリアルタイム・ブログ。今日もスマホ片手に、「今」を見つめている。

法光寺の概要

法人名
浄土真宗本願寺派 法光寺
所在地

〒722-0215  広島県尾道市美ノ郷町三成500-2

TEL/FAX

TEL:0848-48-0024 FAX:0848-48-3724

E-mail

houkouji@houkouji.net

設立

元亀年間(約450年前)

住職/前住職

季平博昭 / 季平博道

坊守/前坊守

季平いづみ / 季平孝江

責任総代

國本英毅

法光寺の沿革

 法光寺は、今から480年前、室町時代の天文元年(1532年)に、僧導久によって創建されました。

  法光寺の開基導久は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の直弟子で源頼朝の甥にあたる明光上人の開基になる相模の国、鎌倉最宝寺の9世明心の弟で、備後御調郡市村(現在の広島県尾道市御調町)の雲雀山の東山麓に来たりて、一宇を建立したと伝えられています。

  おそらく大永年間(1521年~1528年)にはじまった後北条氏による浄土真宗への弾圧の中、かつて明光上人によって開教された備後の地を訪ねたのではないかと思われます。

  この後、文禄年間(1592年~1596年)に雲雀山城主・池上因幡守が帰依し、山林田畑を寄進し、お城の東に位置することから、城東山法光寺と号したと伝えられています。(「御調郡誌」)

  江戸時代に入り、5世元順の時火災により伽藍を焼失しましたが、正徳4年(1714年)、7世順嘉によって再興され、このとき本山より寺号と木仏を賜っています。その後、宝暦7年(1757年)に再び火災で伽藍を焼失し荒廃していましたが、文化14年(1817年)には12世秀覺によって再興され、改めて寺号を本山に願い出て12月に許可を得ています。

  16世諦円の時、明治15年(1882年)3月10日、当時、現在の尾道市美ノ郷町三成に真宗寺院がないことから、地元の要望で現在地へ移転されました。当初は現在の三成小学校のあるところにという話もありましたが、結局、現在地に建立することになり、境内地が少々狭いということで、当時造成中の尾道鉄道用地から出た石を使って石垣を築き、境内地を確保したのです。

  その後、17世敏諦(新住職の祖父)は、三成の地を中心に布教活動を行い、特に三成仏教子ども会や和順仏教青年会・和順仏教婦人会の活動など、三成の地にさらなるお念仏の輪を広げる努力を重ね、移転当時脱漏していた行政への寺院申し出を、困難ななか行い、ついに大正13年(1924年)8月11日、許可を得て寺号公称に至ったのです。

  戦後、法光寺境内(現在の門信徒会館のある場所)に1949(昭和24)年に、美ノ郷村立保育所が開設されましたが、1965(昭和40)年に、尾道市の方針で三成小学校に併設する市立三成幼稚園として移管することとなりました。

  18世博道が住職の間、三美園団地自治会からのお声掛けにより1974(昭和49)年に法光寺墓園を開設したことで、多くの新たな門信徒が所属されることとなり、その後、1977(昭和52)年には本堂を、1988(昭和63)年には庫裏・門信徒会館を相次いで再建し現在に至っています。

 山門は江戸期のもので、天寧寺から移築されたものです。
 

アクセスmap

・JR山陽新幹線「新尾道駅」より国道184号線を北へ車で約7分。
・山陽自動車道「尾道IC」より国道184号線を南へ車で約5分。