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あなたの「心の居場所」として・・・広島県尾道市・浄土真宗本願寺派・法光寺(法光寺心理相談室)

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「なぜ、人を殺したらいけないのか?」

「なぜ、人を殺したらいけないのか?」

「なぜ、人を殺したらいけないのか?」

 先日、第3連区のビハーラ研修会が本願寺聞法会館で開催されました。私もパネリストとしてパネルディスカッションに参加しました。テーマは、「脳死・臓器移植問題を考える」。脳死・臓器移植の課題を通して「いのちの尊厳と平等」ということを考える貴重な時間となりました。その論議の中、次のことを思い出しました。かつて、「なぜ人を殺したらいけないのか?」と問うた高校生に対して、各界の有識者の誰も納得のいく答えを返すことが出来なかったというあの出来事です。当時私も、どう答えればいいのか自問しましたが、いざ答えるとなるとなかなか難しく、納得のいく答えを導き出せませんでした。そのような問いを出すことそのものを非難し否定する論調もありました。お釈迦さまは、「すべての者は暴力におびえ、すべてのものは死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(『ダンマパダ』)と説かれています。だれもが暴力におびえ死をおそれているのだから、自分の身に置き換えれば、自ずから他の人を殺してはならないということがわかるということでしょう。私は、ひょっとするとその高校生は、自らのいのちの尊さを実感できていないから、自分の身に置き換えても「なぜ人を殺してはいけないのか?」との問いを出したのかもしれないと思いました。「人は、他の人から大切にあつかわれる、つまり、思いやりの心で接してもらうことによってのみ、自らのいのちの尊さを実感できるのだ」という話を聞いたことがあります。「なぜ人を殺してはいけないのか?」との問いを、何の違和感もなく発してしまう感覚のその高校生の心情を思うと、辛い思いになってしまいます。阿弥陀さまのはたらきの中を生きる私たち念仏者は、このような感覚を克服するためにも、支えあう人間関係をつくり、それによってすべてのいのちを尊ぶ社会環境を作り出さなければならないと思います。宗門の基幹運動は、今まで特に部落差別の現実を課題とする中で、「いのちの尊厳と平等をもとに」という観点を培ってきました。今年も「差別の現実」を課題とするとともに、「脳死・臓器移植」「自死(自殺)」「死刑制度」など、さまざまな具体的課題に取り組む中で、支えあう人間関係を築き、いのちを尊ぶ社会環境を整えることをめざしていきましょう。

2014-03-23 18:29:17

2010年1月10日号   |  コメント(0)

 

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